2018年5月

 

 

 

課題本『羊と鋼の森』

 

          宮下奈都/作 文藝春秋

 

 

                   読書会を終えて 

 

                 講師 吉川五百枝

 

 

 小説だから職業案内書ではないのだが,「調律師」という仕事内容を知る機会となった。例会当日,会場には,ピアノの構造模型を持ち込んでくださる方もあって,実際に鍵盤を押して音を出す仕組みを目で見る事ができた。調律師は,微かい音程を聞き分け調律して豊かさを作るのだと言われる。

 作品の主人公「僕」は,調律師だ。ピアノの音に伴走されて話は進むのだが,読み進 む途中でふと,作品構成上の一つの特徴が浮かんできた。

 いくつもいくつも,相反する組み合わせが並べられていることだ。

 原点(0,0)を挟んで,X軸上にマイナスとプラスで相反するものがある。さらにY軸を加えた象限で,相反するものもある。そう気付くと,題名になっている羊と鋼も,異なる象限にある。羊は有機的で,鋼は無機的。その二つが合わさって森となるとはどういうことか。   

 そう思ってみると,全編に相反することを対置していく手法が目立つ。

 原民喜の文体が登場するが,この文体論は,作品の内容を象徴しているようだ。

 「明るく静かに澄んで懐かしい。甘えているようで,きびしく深いものを湛えてえている。

 夢のようにうつくしいが現実のようにたしかな文体」。この文章も,1文節に二つの異相を含んでいる。気がついて書き出してみると,たしかに多い。

 

ピアノで食べていくんじゃない。// ピアノを食べていくんだよ。

 

ピアノをあきらめる // あきらめない。 選ぶ // 選ばれてしまう。

 

役に立つかもしれない // 役に立たないかもしれない。 聴く人 // 弾く人。 

 

できること // できないこと。 無駄なものはない // 壮大な無駄かもしれない。

 

50ccのバイク // ハーレー。 選ぶ // 選ばれる。 山の夜の音 // 海鳴り。

 

落とされる // 自分で飛び降りる。 耳の中で流れる音 // 耳の外で流れる音。

 

音の響きを優先する純正律 // 合理的な平均律。

 

コンサートチューナ // 家庭のピアノ。

 

知りたいこと // 知りたいと思っていなかったこと。 わがまま // 聞き分けの良さ。

 

努力する // 努力していると思わない。 無神経 // 神経過敏。 

 

お客さんに合わせること // 本当にすばらしい音とであう可能性を潰すこと。

 書き上げてみると,左右に正確に振れるメトロノームの動きを思い起こす。

 究極の象徴的な登場は,ふたごの姉妹だ。ふたごだから,ちょっと見たのでは区別がつかないが,二人のピアノは。X軸上で原点を挟んだ二つの点を想像させるくらい違う。

 姉の佐倉和音は,情熱的で静かな音。静かな,森の中にこんこんと湧き出る泉のようで,誰も聴く人がいなかったとしてもずっと湧き出るだろうと予想させるタイプ。

 妹の佐倉由仁は勢いと彩りのある音。華やかで縦横無尽に走る奔放さがあり,明るい楽しいところを際立たせるタイプ。

 姉妹それぞれにピアノの音色は大きく違って表現されている。だが,やがて妹はピアノを弾けなくなって,姉妹が,左右均一に振れるメトロノームではなくなってしまったのだ。

 私たちのくらしの中で突き当たる問題は,殆どが規則的に左右に振れるメトロノームのようにはならないことだ。光の当たる側と陰になる側が規則的に分配されるわけではない。

 葛藤を生じさせる疑似メトロノームが実人生と言える。

 この作品では,ピアノを弾けなくなった妹が,姉のピアノを支える調律師になることを決心する。読んでいる者はほっとする展開で,その選択は作者のすばらしい着想だ。 

 異なる二つの存在が,光と陰ではなく,最適な状態に調和する世界。ピアノの音の中にそれを創り出すのが「僕」の考える調律師の仕事だというのは比喩とも受け取れる。

 狭義での「言葉」では「音表現」に追いつけない。だから 象徴であったり比喩であったりと,作者は「言葉」を駆使する。鎮守の意味ももつ「森」は,言葉探しに疲れた作者が逃げ込んだ先でもあったかと,「音」を表記できない小説のつらさも感じてしまった。

 フェルトと鋼という相反するものが「音」を奏で,その「音」は,「僕」にとって幼いときに親しんだ「森」の思い出と繋がる。

 記憶の中の森が美しく描かれる。〈なだらかな山。山だと思っていたものに,土があり,木があり,水が流れ,草が生え,動物がいて,風がふいて自由だ〉。

 ピアノの鍵盤数は88と決まっているし,それぞれの鍵盤に割り当てられた音は一つと決まっていて秩序が保たれる。世間という秩序の中では,相反するものが調和しながら共存するしか術がないのが現実である。それを受容するとき,すべてを含みすべてがゆるされて存在する「森」の入り口に,姉妹と共に読者も立っているのだと励ましているのかもしれない。作者が示す「森」という音色には,絶対に正しい音や,絶対に善い音だという競い合いはなく,すべてが溶け込んでいる。何の乱れもなく均整の取れたたたずまいの作風で,読み手の感情に風波は立たない。穏やかに読み終わる。

 

 

 だが,反射的に対極にある言葉が浮かんできた。

 

「美は乱調にあり」という言葉だ。

 

「複雑な個性の錯綜がかなでる乱調の不協和音の交響楽の魅力」を書きたかった瀬戸内晴美が選んだ題名であり,大杉栄の「諧調は偽りである。」という言葉が冒頭に来る。

 

諧調のまぶしさを感じる故に平均や標準からの逸脱を信条とする「無頼」のまなざしも,この作品の隙を縫う

ように私に届く。

 私自身もまた,左右の手それぞれに「諧調」と「乱調」という異なるものを握っているはずだ。かろうじて転ばないで生きているのは,「僕」の求める調和の世界を,やはり私も左右の手を合わせて願っているということになるのだろうかと,改めて思う。

 仏教で「あいべつ」「怨憎おんぞう会苦えく」(愛しい人とは離別し,かたや,憎み合う人と会わなければな

らない)という相反する事柄を,今生の苦しみと示している。
「美」は,憧れながら,人が握りこむのは難しいもののようだ。



鍵盤を弾く瞬間瞬間だけ,弾く人と聴く人が溶け合えるのかもしれない。そこが「森」なのかと思う。




 


 

  

 

 『羊と鋼の森』 三行感想 

 

 

 

◆ピアノの調律師は何と縁の下の力持ち的な仕事だと思う。豊かな感性と研ぎ澄まされた自身の耳だけに頼

 り,演奏家の思い,技量を発揮させることになる。即ち二人三脚と言えるかも。題名を推し量るに森は豊かな

 包容力と音の広がりがあり,音を醸し出すことも同様な感性があるのだろうか。 【YA】

 

 

 

◆興味のある物語となっています。自分で本を買い求めました。映画も見てみたいものです。大変楽しい読書

 会となりました。 【M子】

 

 

 

◆音の世界に深さを感じる。ピアノを弾く人と聴く人だけでなく,調律する人がいて,たくさんの音がある。コミュニケーションによってオーダーメイドな仕事をする大切さがよく分かる。 【TK

 

 

 

◆ピアノの調律がこんなに深いものとは知らなかった。才能がないかもしれないと思いながら,コツコツ努力し

 て成長していく姿が美しい文章で書かれていた。山で暮らして,森に育ててもらった外村君の成長が楽し 

 み。 【KT】

 

 

 

◆何と透明な作品でしょう。調律師として育っていく外村君を通して,音には色も質も性格 もいろいろあると知

 りました。『羊と鋼の森』題名も素敵で,登場人物も良い人ばかりで,読後感のうれしい作品でした。 【N2】

 

 

 

◆さすが本屋大賞。万人向きです。とても心が優しくなること請け合いです。調律師になる人が出てくるかもし

 れませんネ?羊と鋼でピアノが出来ているのですヨ?本はいい教養深くなります。 【K子】

 

 

 

◆まず初めに,調律という世界の奥深さ面白さを感じた。随所に出てくる音の描写が本当にすばらしかった。

 同情人物は皆優しく よい人ばかりで,アクの強い人が存在せず,サラッと読んでしまった。 【Y】

 

 

 

 

 

 『羊と鋼の森』 感想 

 

 

 

◆◆◆ 【C】

 

ピアノの調律師の仕事について全く知らない私は,技術屋さんのような印象を持っていた

 

ので,それがこんなにも感性が重要な仕事であるということに驚いた。時に依頼主の気持ちさえも考えて調整するなんて,人に対する洞察力も必要な様々な神経を使う職業だ。ピアノを「羊と鋼の森」と表現するのも,とてもおもしろいと思った。この表現だけで,ピアノに対する見方を,一瞬で変えてしまう。黒い箱ではなく,広々とした,のどかな,風薫るような印象に変わる。

 

その森を彷徨う主人公,外村はピアノの調律のことだけを考えている。

 

「ピアノも弾けない,音感がいいわけでもない人間」が,ピアノの調律と出会い,その調律し

 

た音から森の匂いを感じたこと,そのことが忘れられずに調律師になる。外村はピアノの音を通して,世界の美しさに目覚めた。

 

「きっと僕が気づいていないだけで,ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる。あるとき突然,殴られたみたいにそれに気づくのだ」彼は出会ってしまった。自分の一部のような,音,森,ピアノの風景に。

 

「この音があれば生きていける,とさえ思う」。

 

それを知る前と,それを知った後。世界が変わったようで,何も変わってはいない。変わったのは自分。もともとあったものが,見えるようになっただけ。

 

調律の才能があるかないかを悩んでもいたけれど,関係ないと思う。才能がないからやめるなんてことはできないだろう。音はすでに彼の生き方の一部なのだから。仕事と生き方が重なることは苦しく,幸せなことだなと思う。

 

私の実家にはピアノがある。子どもの頃,ピアノを習うのがはやりだった。友達の家にも,親戚の家にもピアノがあった。あの時代,どのピアノも毎年調律してもらっていたのだろうか。一度だけ,自宅のピアノを調律している調律師と出会ったことがある。あまり弾かれていないうちのピアノを,あの調律師は何を思いながら,調律したのだろうか。

 

あのピアノ達は今,どうしているのだろう,とふと思った。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【YA】

 随分前のこと,調律に来て貰い傍らでずっと見ていた。白いハンマー,弦が整然と並び美しいと思った。一つずつの音を耳を傾けて聴いている姿が印象的だった。鍵盤を押すと羊毛で作られた白いハンマーが打ち,鋼の弦が震え,響板に響き伝わって音が醸し出される……。

 主人公外村が小さいころ育った北海道の森の思い出。風が通り抜け日がキラキラと射し込み,木々の葉が擦れ合って鳴いている……。そんな情景がピアノに共通する感覚だったのだろうか。

 

更にこの小説を引き立たせているのは登場人物がみんな光っている。外村の仕事仲間からは技術や人間関係を学び,顧客の可愛い双子姉妹からは人生の理不尽な出来事に苦悩する。様々な経験体験を積んで成長する主人公が想像出来る。自身の感性,音感,技量によって弾き手もピアノも最大限発揮させる事が出来るのが,調律師の魅力かもしれない。 

 

 

 

 

 

◆◆◆  【MM】

 本屋大賞に選ばれた作品だし,図書館ではまだ予約が入っていて順番がこないと読めない本だったので,課題本として読めることが単純にうれしかった。

 ページをめくるたびにその世界にどんどん引き込まれていって一気読みした。文章を読んでいるのだが,頭の中に映像も見えてきたし,音だって聞こえる気さえした。

 以前,実際に調律師の方にピアノをみてもらった事があった。興味津々で仕事ぶりを傍で見ていた私にその人もピアノの内部を見せてくれてくれた。音を合わせるのに音叉を使うことも初めて知った。長い間弾いていなかったピアノが生き返る,息を吹き返すさまを見て感動したのを思い出した。その時の自分を主人公に,調律師を板鳥さんに勝手に置き換えて物語に入り込んだ。

 

物語の中に出てくる先輩調律師がそれぞれ個性的で,自分の仕事のやり方も目指すところも違っていて,それぞれに納得するところがありどれが良い,悪いといえない,というところもこの作品の好きなところだ。それぞれの調律師に顧客がいる。いろんなお客さんに合わせた音をつくる。自分の仕事にもつながるところが見えて読んでいてわくわくした。

 

いろんなお客さんに寄り添うように音を作ったり,初めてのお客さんにはその人はどんな音を求めているのだろう?と限られた時間で探るところ,それがぴったりはまった時のお客さんの反応,それを見る喜び。本の世界と現実の世界を行ったり来たりしながら就きたい仕事につけた幸せを思い出した。楽しいことばかりではないけど,それさえも幸せだったのだ,それを思い出せと本を読んで言われた気がした。

 

今月は読書会を欠席したのでみんなの話が聞けなかったのが残念だ。みんなはどんなふうに感じたのかな,どんな話が聞けたのかな,と思う。読書会では自分と違う受け取り方を聞けるのがとても楽しい。違う道,新しい道が開けると思うからだ。今回初めて課題本を自分で購入した。傍らに置いて何回か読みたいと思った。何回も読んで作品をもっと理解したいとも思った。そんな本にめぐり合わせてもらったことに感謝します。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【SM】

 

北海道の山間で生まれ育った一人の青年・外村が17歳のとき,放課後の体育館でピアノが「森の匂い」のする音色を放つのを聴いたことに始まる小説である。『羊と鋼』とは鍵盤を押すと羊毛でできたフェルトのハンマーが鋼の弦を叩くというピアノが音を出す仕組みだが,彼が「森」を感じたのは,演奏ではなく,調律であった。彼はその音色に導かれるようにして,美しい音を創るという「調律という森」の中に飛び込んだ。

 

彼は「森の匂い」を立ち上がらせた調律師・板鳥に紹介してもらった専門学校で2年修業したのち,板鳥と同じ楽器店に就職することができた。ピアノが弾けるわけでもなく,音感が優れているわけでもなく,音楽の知識にも乏しいことに引け目を感じ続けている。調律の技術にも自信を持っていない。才能がないのではないか,諦めた方がいいのではないかと苦しみ悩む。情熱は持ちながらも,実直すぎる彼に対して,先輩板鳥も柳も秋野も様々な言葉を授ける。「この仕事に正しいかどうかという基準はありません」「調律師の仕事は調律だけではないからな」と。アドバイスを聞きながら彼は相反する考えに更に悩み続け,葛藤に苦しむ。

 

「調律という森」にあっては,何を美しい音と感じるかは十人十色であり,正解も善悪もない世界であった。とてつもなく奥深く,際限なく高く広く,出口も分からない「森」に足を踏み入れてしまったのであった。

 

やがてそんな彼にも,ピアノと演奏者のために 美しい音を創れる瞬間がやってくる。

 

ピアニストになると決心した和音と,ピアノを,できるだけ美しく響かせたいと思ったとき。そして先輩柳の結婚式の披露宴の席で,祝福を奏でる和音のピアノの音を聴いたとき。彼女の奏でる美しい音には板鳥が言った相反するものが多く共存していた。

 

 

 

「明るく静かに澄んで懐かしい文体」 小さな声で口にしながら黒いピアノの前に立つ。

 

「少しは甘えているようでありながら,きびしく深いものを湛えている文体」 僕の星座だ。

 

いつも森の上にあって,僕はそこを目指していけばいい。

 

「夢のように美しいが現実のように確かな文体」 僕にとっての星座。ここで弾く和音にも,

 

 離れたところにいる由仁にも光って届くように。ペダルの深さを調整する。

 

 

 

羊と鋼は,動物と人工的なものだが「ピアノ」という形で存在する。双子姉妹のピアニストをめざす和音と調律師をめざす由仁も,これから一緒に「和音の音」を創り出そうとしている。美しい音然り。作品には相反するものが多く存在する。それらを一つに調和させ,一つの場所に共存させようとする「森」を感じさせる。現実の「森」も食べる獣と食べられる小動物,日なたを好む木々と日蔭を好む植物,誕生するものと死滅するもの等,相反するものを途轍もなく多く,見事に調和・共存させている。

 

 

 

言葉にするのは至難の技である音の世界を,作家宮下奈都は,選び抜いた言葉と巧みな比喩で絶妙に調和させ,より穏やか境地へと読者を運んでくれる。もしかすると「森」は,すべての仕事や活動(読書・読み聞かせ等)に共通するものかもしれない。だからこそ読者は,外村のこつこつと努力する姿に自分を重ねて共感し,彼が和音のピアノを最も美しく奏でられるように調律する姿に声援を送り,これからの彼の成長を予感することで,爽やかな読後感に浸ることができるのではないだろうか。