2018年7月 

 

 課題本『 父の詫び状 』

 

                             向田邦子著  文藝春秋 

 

 

読書会を終えて

 

                                              講師 吉川五百枝

 

 

 

航空機の墜落事故という言葉に出会うと、二人の人が思い出される。一人は1985年に御巣鷹山で亡くなった坂本九ちゃんであり、もう一人が1981年に台湾で亡くなった向田邦子氏である。二人とも8月の空を飛んでいた。飛行機墜落事故というニュースは衝撃的で、鮮明に記憶に残っている。そして、二人の歌声や映像、作品は、今も健在だ。

 

今回のテキスト『父の詫び状』は、昭和53年(1978年)の刊行で、今年はちょうど40年後に当たる。当時、作者の向田は乳癌の術後で、後遺症と向かい合っていた。

 

〈曲がりなりにも「「人の気持ちのあれこれ」を綴って身すぎ世すぎをしている原点〉と本人が思う彼女の幼少期の思い出を書き表している。そういう思い出を繰ることで、後遺症との折り合いをつけようとしていたのかもしれない。

 

通常は、本人にしかわからない思い出話なのだが、ここで語られるのは、昔何があったかということよりも、そこに流れていた微妙な人の情である。大人になった筆者の語り口を通して、さりげなく暖かいものが伝わってくる。

 

『七人の孫』に始まる彼女の脚本が共通して持つ人を追い詰めない柔らかなおおらかさが、このエッセイ集の幼少体験にも見られる。

 

『父の詫び状』には、24の随筆が集められていて、全体の雰囲気と、個々の文章それぞれの光り方が味わえる。だが、やはり、彼女の思い出の主演は「父」のようだ。

 

1904年生まれの父は、戦前の父親像として特に珍しいとも思えない。

 

表題に「父」が登場するように、保険会社支店長という父が、向田家の全体をひっぱっている。父の転勤に、一家あげて付き従うのだから、戦前の家父長制度の中とは言え、より強い父権であったろう。その父が詫び状を書いたのである。子供にとって、ずっと心に残る大きなできごとだったのだと思う。それが最初に読む1編であるが、読み手にとっても最後まで引きずる文章となっている。それ以後の文章で父がどんな人であったかを詳細に描く。今日的に言うと、かなりひどい父親像だ。しかし、恨みがましい描き方ではない。

 

作者は、父の生い立ちを何度か織り込んで書いている。大人になるということは、父であると同時に一人の人として見る事ができるようになることでもある。

 

思い出の中の父は、〈親戚から村八分にあいながら、母親の賃仕事で大きくなった惨めな少年時代を過ごした〉人である。責めてはならない父の気性への気遣いが、彼女の中に生まれていることを感じる。父の転勤に伴って作者は転校を繰り返し、小学校だけ

 

4回。これを〈場数を踏んでいる〉と表現するユーモアが、作品全体の明るさに通じる。

 

〈父は正統派といえば聞こえがいいが、妙に杓子定規なところがあった〉

 

〈他人の家を転々として恵まれない少年時代を送った父が、長男長女に子供の頃の夢を託した〉が、〈一人っ子の父は、「きょうだい」というものを知らなかったようだ〉

 

〈昔気質で癇癪が強く〉〈何でも自分だけ特別扱いにしないと機嫌の悪い人だった。〉

 

〈家庭的に恵まれず、高等小学校卒の学歴で、苦学しながら保険会社の給仕に入り、年若くして支店長になって、馬鹿にされまいと肩ひじ張っていきていた〉

 

〈父は、自分の鼻の格好にひそかな自信を持っていた節がある。父親の名も知らず、学歴はなし金はなし、人に誇れる身寄りの無い父は、背の高いこと、記憶力のいいこと、鼻の格好のいいことぐらいしか、自慢の種はなかったのであろうか。〉

 

時には、筆者本人にも母にも鉄拳を振るってどなりつけていることもある。

 

〈母は幼い時、裕福に育てられた人であった。親兄弟の愛情にも恵まれ、稽古事も仕込まれてお嫁に来た〉〈父に無い豊かさと明るさが、母のまわりにはあった。〉父は それを愛したに違いないが、同時に嫉ましさもあったのだろう、と筆者は見る。

 

〈「俺はカンの鋭い子供は大嫌いだ」〉と言って、縁日に連れて行くはずなのに、父は筆者をおいていってしまう。その時の子供の感情を思うと、憎しみに近いものがあったはずで、自分に性格の似た我が子をかわいく思いながら疎ましくも思う父の気持ちを、後年になって〈この頃 やっとわかるようになった〉と筆者は言う。母の性情を愛でながら妬み、子の利発さに満足しながらいたぶる心の動きは、夫であったり父親であったりすることでは制御できない人間の感情の綾であり、それを理解して受け入れるには、相応の時間を要するものだと思う。彼女は、30歳を迎えるころになって、ようやく解りはじめたのであり、年齢につれてその内容は増えていくことを知っただろう。

 

親というのは、子供が親に抱いた大嫌いだという思いを、親の方から修正できないまま命を終わることも多いようだ。子供が親の年齢になってはじめて、その思いを推し量ることができると語られる事もよく耳にする。

 

〈子供の頃は憎んだ父の気短かも、死なれてみると懐かしい〉父親も母親も、肉体が終了して何も為さなくなった時、子から許して貰うのかもしれない。最後の「親の詫び状」が、その時、子に届く。

 

幼い頃の思い出話を使って書き起こしているので、実際に近い作者の家庭環境が語られる。こういう場合は、例会で月当番をしてくださる方の作者紹介の資料で、自分の頭の中をまとめるのがすっきりする。この度も、冒頭は当番さんから示された資料を読むことから始めた。

 

旧民法下で、男性と女性の位置関係がどのようなものであったかも語られたが、実質的に女性が踏みにじられたともいえなくて、向田家の母や祖母はしたたかに生きていたのではないかというのも話題になった。しかし、自分の次の一瞬を自分が選択して決定するということが、時代や男女に関係なく、したたかさの内容でなければならないと思う。

 

「花開き 花香る 花こぼれ なお薫る」森繁久弥氏が彼女の死を受けて贈った詞である。人の気持ちのあれこれを香り豊かに愛情深く映しながら、51歳でこぼれた花は、人間をしっかりと見つめていた。 

 

 

 

 

 

 『父の詫び状』 三行感想 

 

                                      

 

◆小気味よい歯切れのいい文章。またその時代の社会や生活を映像として思い描くことが出来る。鋭い的確な人間観察やユーモア、戦後の世相のホロリとさせるエッセイ等々。

 

没後40年近くなるのに色褪せない向田邦子です。色々多彩な才能の持ち主で、もう少し歳を重ねた時の本はどんなものだったかなと思える。 【YA】

 

 

 

◆昭和の懐かしい厳格な父、おいしい味と思い出、知恵 体験を台本風に書いてある。思わず、私にも そんな所があるとクスっと笑える。戦前の生活を垣間見られる。

 

【TK】

 

 

 

◆読みはじめると、私自身が幼い頃体験した内容がたくさん出て来て、すぐに次々と読むことが出来ました。昔の話だけど、その中に今の自分(私)と重なる部分がたくさんあり、向田さんの家族一人ひとりの絆の中に“信頼”と“尊敬”が底辺に流れていることを感じ、向田さんの知的な中にもユーモアがあり、温もりのある人柄にますます好感を覚えました。 【R子】

 

 

 

◆昭和の父親像が鮮やかに書かれていて、面白く読んだ。父への尊敬、愛情も感じられた。あとがきに<遺言状を書いて置こうかな、……」の文は 3年後の飛行機事故を思い、胸が詰まった。 【KT】

 

 

 

◆接続詞が少ない文章で、スーッと流れるように入ってくる本でした。生きる時代は違っても人と人の関係性の中で大事にすることを示してくれているエッセイであった。エッセイといいながら小説になっている文章だと思う。思ってもなかなか言えない言葉に朱筆を入れた父の行為に「フッ」と笑みがこぼれたのは私だけではなかった。 【E子】

 

 

 

◆癇癪持ちで頑固者だが家族からは慕われている父や、それを立てて支えている母や祖母の姿がユーモアをもって描かれている。懐かしい昭和の家庭の話。 【T】

 

 

 

◆到来物で始まる物語が、最後は、父の手紙の最後に書かれた朱筆の傍線の引かれた詫び状で終わる。その中に時代の正月、風景、その時代の父親の姿、その時代のサラリーマンの姿、その中にほのぼのとした家族のあり方ややさしさが満ちていた。

 

【N2】

 

 

◆偉そうにしているけれど、不器用だけれど、家族を思う父の姿が愛にあふれていると感じた。家父長制度 

 の中で女性は耐えているように見えても、自分が自分で選んだことだから受け入れられ、折り合いがつけら

 れ、苦しさも耐えられると話されたことに共感できた。時代に関係なく、やらされることは苦しいけれど、自分

 でしようと選んだことは喜んでできるものだと 自分の経験を通しても納得できる。 【Y】

 

 

 

◆24編からなる随筆です。どれも面白いです。心にグサッとくるものがあります。筆力がすごい!どの文章もわかるわかるという感が強いです。時代背景がうまく表現されています。大ヒット! 【K子】

 

 

 

◆大変な豪雨の後でしたが、みなさんの顔をそろって見られて本当に良かったです。向田邦子の今回の作品は読み易かったです。短い話の中にも考えさせられるところや

 

感情が動かされるところがあって深かったです。 【MM】

 

 

 

 

 

 『父の詫び状』 感想 

 

                                   

 

◆◆◆ 【C】                               

 

上手なエッセイを読むと、本当に嬉しくなってしまう。長い小説より、ぎゅっとエキスがつまったような短編を読んだような読後感。エッセイが好きであるが、なかなか私好みのエッセイにはありつけない。というのも、私の中の法則として「食べ物の描写が上手い作家は、ハズレなし!」というのがあるのだ。向田氏の食べ物の描写はどれも美味しそうで、それでいて、その美味しそうな食べ物と共に様々な記憶を甦らせていくから、さらに奥深く、おもしろい。

 

 家族の話が中心にある。いろいろなコンプレックスを持ちながらも、それを隠すために、亭主関白、威張りん坊のガキ大将みたいな父がいる家族。向田氏は大人になるまで、そんな勝手な父をきっとうとましく、嫌がっていたに違いない。しかし「お辞儀」の話では、家の中では暴君の父が、社会の中でどんなふうに戦ってきたのかを、若き彼女は垣間見る。「私は今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがある」。大人になるということはどういうことか。そのひとつは、親を一人の人間として客観的に見る視点ができることだと思う。同じ今を生きる、同志として。それはちょっと切ないことでもある。

 

 「子供たちの夜」では愛について、とても具体的に書かれている。夜更けに叩き起こされて、無理に食べさせられた父の折詰。夜中に子供たちの鉛筆を削る母の音。これこれが愛だ、と声高に言わなくてもそこに愛があるのがはっきりとわかる。主張を押しつけてこないその文章が、とてもさわやかだ。

 

 “理不尽な”ことをいう父がいても、家族が上手くいくのは、「しょうがないなぁ」という、ちょっと腹立だしい感じを共有し合う、その雰囲気があるからかもしれない。その困った父を受け入れている母が醸し出す雰囲気だろう。4人も兄弟がいると「ほら、お父さんはあの時・・・」なんて、懐かしく共通の思い出を微笑みながら、昔の話を語り合う情景が、浮かんでくる。そこにも、愛がある。

 

 

 

 1つの話には、様々なエピソードが流れるようにちりばめられていて、例えば「父の詫び状」では、夜中に伊勢エビをもらった話から始まっている。それがどうやって、父の詫び状につながっていくか。さりげないけれど、鮮やかなつなぎ方で、本当に驚く。どこに連れて行ってくれるのかと、ワクワクして読み進んでしまう。

 

「身体髪膚」では、父が掘った池に弟が落ちてこめかみに怪我をする。父は怒り狂ってできたばかりの池を埋めてしまう。おでこを冷やすために馬肉をあて、そのそばで腕組みした父はこの世の終わりといった顔で座っている。祖母は笑いをこらえている。このことを、馬刺しを食べると思い出す、という。そして最後の文章はこうである。「馬肉は身体が暖まるというのは、本当である」。おもしろく、温かい家族のエピソードをなんと鮮やかに締めくくっているか。

 

 描写の意外性、読み手の五感を刺激する文章は、俳句の要素に似ている。向田氏は俳句も上手に詠んだに違いないと思う。

 

 どの話もおもしろく、鮮やかであるが、あえてひとつを選ぶなら、私は「ごはん」の話を選びたいと思う。東京大空襲の時のエピソードが、一番心に残る。大変な状況の中、逃げ出した弟と妹は父が死んだと思い、叱られる心配がなくなったからと救急袋の乾パンを全部食べてしまった。お腹いっぱい食べられて嬉しかった、と。そしてこの分だと次はやられるから、最後にうまいものを食べて死のうと父がいい、白米とサツマイモの天ぷらを作って家族で食べる。死と隣り合わせのごはん。その苦味、哀しみ、おかしみがしみじみと伝わってくる。戦争を経験していない私にも。

 

 向田氏の他の作品はまだ読んでいないが、きっと私は満腹になれると予想する。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【YA】

 

作品のうちいくつかがドラマ化され、脚光を浴びて活躍されている時に台湾で飛行機事故で亡くなったとニュースで知った時は、すぐには信じられなかったのを思い出す。「父の詫び状」では戦前戦後の何処にでもあるような家庭の日常が描かれている。昔は家長である父親が家庭の大黒柱であり、生活の糧を得る中心となり責任ある立場にいた。この作品では父親の小さい頃からの経歴が余り芳しくなかったが為、威厳を保とうとする姿が可笑しくもあり、家族に対する細やかな愛情や優しさも伝わる。家族もそれを当然のように受け入れて父親を見ているのが微笑ましい。いつの時代も家族は最も大切な重要な単位であり、家族のあるべき姿は普遍ではないかと思う。他の20数編も向田邦子の人間観察は小気味よく鋭く彼女の真骨頂ではないかと思う。亡くなって40年近く経つのに多彩な彼女の作品は全然色褪せない。彼女は若くして亡くなったが70代、80代での作品は一体どんなに描かれただろうか。益々人間観察が鋭くにもなり優しさも加わるに違いない。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【M子】

 

伊勢海老の到来物の話、私の所にもお歳暮に生きた伊勢海老をもらっていました。料理をするのが大変なので、有難迷惑な品物だと思っていたことを思い出しました。それと「啼くな小鳩よ」という歌が流行った頃、昭和23年 私が小学校2年 呉の小学校から広島に引越しした年だったなあと思い出しました。

 

この本を読みながら、別の本も読んでいました。澤地久枝さんの『家計簿の中の昭和』

 

向田さんと南米ペルーの首都リマでの正月、アマゾン川上流を観光し無事に帰ってきた事、その後の昭和56年8月に台湾上空飛行機爆発事故で亡くなったのですね。癌では生還し、事故で亡くなり、人生はいろいろですね。

 

 たまたま澤地さんは好きな作家なので古本を見つけて読んでいましたら、この時期向田さんの『父の詫び状』の話が出てきました。知らず知らずに読む本が繋がっています。

 

 明治生まれの父親は、大なり小なりこんな人達でした。女の人が如何に我慢していたかと思います。最近は、セクハラ、モラハラ、パワハラと女性が嫌なことはすぐに訴えを起こす時代となりました。昔の人達は如何に感じているでしょうか。 

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【TK】

 

 大好きな向田邦子さん。昭和(戦前も含めて)の家族がよく分かる。父親の仕事柄、客をもてなすことが多い。家族そろっての食事、お出かけ、お正月。いつもおいしいものと記憶が結びついている。頑固な父親でも、家族への愛情は強く、家族のために大切なものを犠牲にすることも人一倍。

 

 今の家族は、父親の威厳も、家族みんなで人をもてなすことも、家族で食事を一緒にすることも無くなっている。家族を考え直すよい教材になると思う。

 

 皮肉なことに向田邦子の遺言となり、このエッセイの中にも飛行機事故のことが書かれている。私はこんな文才のある方を殺してしまった飛行機が憎い。さらに、お祖母ちゃんの生き方が、また小説にも味を添えていることがよく分かる。

 

 小さいことでも、そうそう こういうことが私にもあると、くすっと笑えるところが楽しい。年をとるごとに何回も読み返していきたい。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【MM】

 

短編集だったのでさらさらと読めた。

 

軽く読めるのかなと思っているとたまに感情が動かされるところもあって涙したりもした作者のことはリアルタイムでは知らないので、出席者から聞く作者のエピソードなどがかなり興味深く、関連本も借りて帰って読書会のあとも読んで楽しんでいる。

 

 

 

読書会でよく出るキーワードとしては「落としどころ」「受け入れる」ではないかと思う。

 

今回も「自分が置かれた場所は自分が選んだ結果である」「自分が選択したのだからそれを受け入れてそこから表現する」などが心に残った言葉だ。

 

 その言葉だけ見ても人生訓になると思う。

 

 毎回新たな発見もありながら、考え方、生き方の確認作業でもあるこの集まりがとてもありがたい。

 

 

 

この本が中学の教科書に載っていることをここで知って、中学生の娘にすすめたら「面白い」とのこと。通学途中に読んでいるようです。なにが面白いのかはまだ確かめてはいないが、世代が違う人と同じものを読んで共感できるのはとてもうれしい。

 

 

 

 

◆◆◆ 【SM】

 

脚本家向田邦子との出会いは、小学3年生の冬だった。ナショナル劇場『七人の孫』である。番組の歌として 森繁久彌作詞の「人生賛歌」が流れた。

 

♪ どこかで微笑む人もありゃ  どこかで泣いてる人もある

 

あの屋根の下  あの窓の部屋  いろんな人が生きている

 

どんなに時代が移ろうと  どんなに時代が変わろうと 

 

人の心は変わらない    いろんな人が生きている

 

幼な心に「そうだよね。そうなんだ」と深く感動したものである。

 

向田邦子脚本の番組が始まると、お爺ちゃんがいつもひと騒動を起こす。お爺ちゃんは善意の行動だが、周りの人は事の成り行きが分からず大混乱で大迷惑。でも周りの人は「もう本当に」と言いながらも、お爺ちゃんを想い愛おしむ。それが何とも寒い冬に、心温まるのであった。今想うと人生の初めに、人の見方の基本を学んだような気がする。

 

 

 

さて『父の詫び状』24編の特長を三点に絞ると、次のようになろうか。

 

①いずれのエッセイも非常に短い。しかし短編小説を読んでいるような錯覚さえ覚える視覚的な文章。鋭い人

 間観察から推察する心理描写。「父の詫び状」

   ★「此度は格別の御働き」という一行があり、そこだけ朱筆で傍線が引かれてあった。それが父の詫び

   状であった。

 

②さりげない書き出しから始まり、様々な思い出が互いに関連なく語られたかと思うと、クスっと笑わせ、最後

 には鮮やかに一つのテーマに集約するという手品のようなストーリー展開である。「お辞儀」

   ・ 留守番電話 「名前を名乗る程の者ではございません」お辞儀の綺麗な人に違いない…

   ・ (母の入院) 母はエレベーターガールさながら深々とお辞儀をするのである。

   ・ 肝心の(祖母の)葬式の悲しみはどこか消し飛んで、父のお辞儀の姿だけが目に残った。  

    私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたのだ。 

   ★ 親のお辞儀を見るのは複雑なものである。面映ゆいというか、当惑するというかおかしく、かなしく、

      そして少しばかり腹立たしい。

 

③彼女自身が経験した戦前・戦中の子ども時代の平凡な日常生活の有様が映像のように描写されている。

   「ねずみ花火」

 

・ あの何もないお通夜には、貧しくとも切実な人と人の別れがあったような気がする。

 

・ 「芹沢先生はいまおなくなりになりました」

 

・ ユニフォームを着て働く人を見るたびに、この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知

 れないのだ、……と自分に言い聞かせている。

 

◎ 思い出というのはねずみ花火のようなもので、いったん火をつけると、不意に足許で小さく火を吹き

 上げ、思いもかけないところへ飛んでいって爆ぜ、人をびっくりさせる。

 

 

 

すぐれた人間観察をやわらかな筆にのせて、主人公や周りの人々の素顔をとらえた向田邦子は、小学3年生から五十年余り 私に「人は 心に“かなしみ(愛しみ・悲しみ・哀しみ)”を抱いて、周りの人々と関わり、恕し恕されて、お互いの人生を生きていくのではないか」ということを熟考させてくれている。