2018年9月 

 

                              

 

課題本『すべての見えない光』  

 

アンソニー・ドーア/著 藤井 光/訳 新潮社    

 

 

 読書会を終えて  

 

                                               講師 吉川五百枝

 

 

光 在り 我らは見えねど    

 

 

 

たぶん,私は,第2次世界大戦の一場面を実際に体験した最後の世代だろう。

 

幼い私が見て,聞いて,歩いた空襲の夜と翌日の光景は,ほんの小さな出来事だったのかもしれないが,体験した最後の世代は,インパールで,ブキテマで,南海の戦艦の中で,旧満州で命を落とした知り人の,“すべての見えない声”を背負っているように感じる。

 

だから,戦争の克明な記録さえ,その高揚感も,苦しみも,無念さも,そのままを映し得ないのだと思ってしまう。

 

文中にある〈死体がすべて不在であることで,わたしたちは忘れていられる。 芝地が,死体を封印してくれている。〉という文字を実感として読む。広島市の大地も,その封印された表面なのだ。

 

どんなに美しい文章で書かれ,そのまなざしがあたたかいものであろうと,戦争(=殺人や暴力を合法的と言わせる)がもたらした行為は,美しくも暖かくもない。あの「リトルボーイ」というかわいらしい名前でも,どれほど多くの人に苦しみをもたらしたことか。

 

518ページもあるこの作品は,第2次世界大戦下のフランス人の少女とドイツ人の少年との物語とかたづけられもするが,2人の物語にしては,周りの人物があまりにも多く重い。

 

作者が,まるで石けん水にストローを立てて息を吹き込んだように,小さな泡や大きな泡がいくつもくっつきあって盛り上がっている作品だ。178ものエピソードで成り立っているという。それぞれが泡の大小にかかわらず相応の光を反射していて,その泡の一つ一つの後について行きたいと思わせる。

 

2次世界大戦を背景に,大きな泡は二つあって,その一つはフランスに生を受けた少女マリー=ロールの人生であり,もう一つは,ドイツの炭鉱町にある孤児院に暮らした少年ヴェルナー・ペニヒの人生である。

 

2人の周りには,家族や親戚,友人,先生,上司,同僚,時には敵,と多くの人物がいて,物語がくっつきながら泡立っている。そこには,それぞれの物語があって,それらが全て戦争という大きな風によって,離れ,壊れ,失い,そして抗い,助けあって生きていく様が描かれる。

 

中心となる2人を描きながら,時系列を1本にしないで書き継いでいく手法なので,話は行ったり来たりするが,そのことによって周りの人々との関係が示されている。

 

時制の行ったり来たりは読みにくいが,人が,周りの人と一緒に生きていくのは,つかみやすく整理された時の流れではなく,人によって違い,状況によって異なる入り組んだ流れなのだと作者は考えているのだろうかと思う。

 

父のように炭鉱事故で死にたくないと,自分の行き先を考える14歳の少年ヴェルナーが,器用な手先と数学的な能力をかわれ,国家政治教育学院の中に活路を見いだしていく。彼がヒトラーの軍隊色に染められていく状況は,『ヒトラー・ユーゲント』(中公新書)などにも書かれる教育システムで,当時のドイツの少年であるヴェルナーが疑念などを持つことはゆるされなかったことは想像に難くない。

 

彼の妹ユッタは,禁止されている短波を聞いて「わたしたちの飛行機は,パリを爆撃しているのよ」「残虐行為よ。ほかのみんながしているからって,同じことをするのは正しいの?」と冷静な言葉を吐く。ユッタは,後年,思い出したくないソ連侵攻下の生活を封印して,高校教師をしている。兵士の性犯罪は罰されない。彼女は生き抜く道を選んだ。

 

「ハイル・ヒトラー。」と,もえあがる少年も居ただろうが,中にはナチスの求める「ゲルマン・ドイツ人(支配民族)」としての強さに応えられない少年たちも当然あっただろう。そういう子どもたちについても,ヴェルナーの隣り合わせの友人たちとして語られる。ヴェルナーは,悪意に満ちた教練で血を滴らせる友人から目をそらす。何もできないのだ。そのヴェルナーも無線操作の技術で軍役に就き,戦場へと向かう。その3年後,フランスのサン・マロが彼の闘いの場だった。

 

一時はヨーロッパの広い範囲を占領する勢いのナチスだったが,やがて戦場から追い立てられていく。広げた戦線に取り残された1人のドイツの少年兵と,視力を失っても1人で生きようとするフランスの1人の少女の出会いを描くために,作者は,フランスの北岸にあるサン・マロの市街を舞台として選んだ。

 

サン・マロでは1944年8月,ドイツ軍から奪い返そうと,アメリカ軍が爆撃に次ぐ爆撃を行った。要塞の防衛にあたるドイツの少年兵のヴェルナーは,孤立した要塞の地下室から脱出して町に出る。その同じ町の家の6階には,パリから逃れてきたマリー=ロールが居た。彼女は,パリの国立自然史博物館の仕事をしていた父と共に,戦場となるパリを離れ,大叔父エティエンヌを頼ってサン・マロに来ていた。大叔父の屋根裏部屋には,マイクも送受信装置も隠されていて,大叔父が,無線を使ってパルチザンの連絡係をしていたことを示している。マリー=ロールは視力を失った少女だ。が,パリで彼女を慰めてくれた『海底二万里』の点字本がその部屋にあり,マイクで読み上げるその声をヴェルナーが板1枚を隔てて聞く。「そこにいるのかい?」

 

何のつながりもなかった敵国同士の2人が,無線放送を通じて共通の空間を持つ事ができるようになった。冒頭の章で,爆撃の中,2人がすぐ傍にいることを示し,10年間の歴史を描いた最後には,また2人を瓦礫の中で出会わせる。

 

2人を近づけたのは無線だ。目には見えないが,声が2人には光となる。

 

大叔父には,無線機を「私にはここに全世界がある」と言わせ,ヴェルナーには「空気を通じて行われる目に見えない戦争」と言わせる。0章に入る前のページでは,「権力の奪取も行使も,ラジオなしでは不可能だったろう」とナチスの宣伝大臣ゲッペルスの言葉を引いている。戦争は多くの闇を作る。

 

〈怒るべき何かがあるが,何に対して怒ればよいかわからない〉どれだけ多くの人が,この言葉を苦く噛みつぶしたことか。500ページも読んできて,この1文が心に残る。

 

 

 

 

 

 『すべての見えない光』 三行感想  

 

 

 

◆しかし最後まで重いものでした。世界中を巻き込んだ第二次世界大戦下,運命に翻弄されながらもフランスとドイツ敵対する国に住む少女と少年。いつの時代も,苛酷な時も,

 

周りには必ず善意の人がおり,希望が存在する。若い感性を謳いながら,運命を生きる姿に感銘。生き延びた少女が孫と日常を送る姿に胸が熱くなる。希望が少しでもある限り人々は変わり,何かが生まれると思っています。 【YA】

 

 

 

◆光のない世界,戦争の時代,辛い悲しい時に生きた少女マリー・ロール。健常者でも生きるのは大変なことでした。光はなくても,外にある物を糧として,生きのびて来たのですね。 【M子】

 

 

 

◆ヨーロッパの美しい村の風景が感じられる。父親が娘を自立させようと教えているのがよく分かる。博物館での日々の生活も,よく組織されている(博物館の中の仕事)こともよく分かる。盲人の女の子と少年の若い人の感性が素晴らしい。2回読むと,もっと味わえるように感じた。戦争の惨さも感じる。 【TK】

 

 

 

◆英気と鋭気を補給に参加。見えないものを見えるようにする「光」とは,作家の筆力だろう。

 

しかし,外国の作家の著書は,訳が重要になることが再認識できた。題は名訳であった。

 

  【E子】

 

 

 

◆フランスの盲目の少女マリー=ロールとドイツの少年ヴェルナーのものがたり。

 

 前半は読みにくかったが,後半は読みやすかった。二人で桃の缶詰を食べるところは…。

 

 このような時間をもう少し長く過ごさせてあげたかった。戦争の悲惨さも至る所にあった。

 

 見えない光とは? 【KT】

 

 

 

◆第二次世界大戦時,ドイツ軍は フランスのサン・マロを占領した。それを解放する為,

 

連合軍は この街を 爆撃した。壊滅状態の街の中での フランスの盲目の少女と ドイ

 

ツ兵の少年との出会いと別れ……。

 

戦争の醜さ・悲しみ・苦しみと共に 人々の温かさ・勇敢さ・力強さが感じられる本です。

 

   【T】

 

 

 

◆『すべての見えない光』とは何だろうと思いつつ読み進めたが,読書会で「光は,大切なものは すべて目に見えないものなんだよ。」と言うことが この小説のテーマだったのか と気付かされた。また,話が行ったり来たりして とても 悩まされながら読んだのだが,

 

 この手法に意味があったのだった。人間は歴史のように一直線ではなく,現実の人間は

 

 歴史の裏で 行ったり来たり 蠢いている その生き方を表すために このような手法をと

 

っているのだと分かった。 【Y】

 

 

 

 ◆『All the Light We Cannotee』 

 

<光はすべて目に見えないのだよ>とラジオ(無線交信)から聞こえるフランス語は語る。

 

光には可視光線と不可視光線がある。不可視光線は紫外線・赤外線で目に見えない。また可視光線は太陽やそのほかの照明から発せられ反射して可視となるだけで,もとは見えない。即ち「光」はすべて見えないわけだ。

 

目には見えない電波が飛び交う無線交信を操るドイツ兵ヴェルナーと少女の大叔父エティエンヌ。目の見えないフランス人少女マリー・ロールにとっての色に満ちた日常等々。人は戦争という極限状態で,葛藤し行動し後悔し,最期に何を心の支えに生き抜こうとするのか。その「光」は目に見えないからこそ,尊いのかもしれないと考えさせられた。 【SM】

 

 

 

 

 

◆物事をどの角度から見るのかによって,受け取り方も違ってくる。読書会に来ると いつも 自分の見方からの一方向からしか見ていないことに気付かされる。今日も楽しかった

 

です! 【MM】

 

 

 

 

 

 『すべての見えない光』 感想 

 

 

 

◆◆◆ 【C】                               

 

 500ページにもなる第二次大戦を題材にしたこの長編小説は,フランスに住む,失明したマリー=ロールとドイツに住むヴェルナー・ペニヒを中心にした物語である。戦争というものがなければ出会うはずのない二人の,フランス,サン・マロでの一瞬のような邂逅。戦争の渦に巻き込まれた未成年の二人の心の動き,感性。飲み込むしかない辛い現実の中で二人は,そして二人を取り巻く人々はどう考え,どう行動し,生き,死んでいったか。

 

 物語は1944年を中心に時間が行ったり来たりして書かれている。一度読んだだけではその時間経過について行けず,こんなに入り組んで構成されていることの著者の狙いは何かと思ったが,再読しているうちに,これこそが重要なのかもしれないと思った。物語から読者を少し引き離すこと。読者を戸惑わせ,立ち止まらせ,物語と読者の間に余白を作ること。

 

 詩的な文章と,時系列に書かれていないことが,この物語を,ある1つの戦争の物語ではなく,多くの戦争がもつ普遍的なそのものの悲惨さ,残酷さを浮き彫りにしているように感じられる。それらが余白で匂い立つのだ。読者は立ち止まり,その余白で残酷な世界の匂いを嗅ぐ。

 

 この感じは,児童文学に近い気がする。『あのころはフリードリヒがいた』という児童文学を思い出した。

 

 

 

 マリー=ロールにとって,世界とは<見えない光>の世界だ。しかし光のない世界に生きているマリー=ロールの内なる世界は,なんて豊かなのだろうと思った。それは彼女が世界を五感で感じ取ろうとしているからだ。触覚や嗅覚,聴覚,味覚をフルに活用して,世界を感じとろうとしているから。

 

見える私は,つい視力にばかり頼って生きてしまう。多くの情報は目から入ってくるが,しかし見えるものがすべてではない。見えるということは惑わされることでもある。『星の王子様』の,<いちばんたいせつなことは目に見えない>という言葉が思い浮かぶ。

 

そして愛されて育った子は強い。マリー=ロールを見ているとそう思う。

 

 ヴェルナーは妹のユッタと乳児院で育つ。母親がわりのエレナ先生と多くの子供たちと。ひもじい生活の中でもヴェルナーの世界は疑問でいっぱいで,ある日ラジオを見つけ,直して世界を垣間見る。ラジオから届く音楽や情報は<見えない光>によって届く。未来をひらく希望の光だったに違いない。才能を生かして自分の人生を切り開こうとするが,そんな大切な願いを戦争が絡め取る。無線機を使って,<見えない光>の先にいる敵を探し,殺す任務。誤って,幼い子どもを殺してしまった仲間を見て,ヴェルナーは心の中で叫ぶ。<ただ言われたとおりに行動し,恐れ,自分のことだけを考えて動いている。そうでない人間や国家を,ひとつでもいいから言ってみてくれ>。地下に閉じ込められた時聞いたマリー=ロールの無線の放送。<見えない光>が届けてくれた,希望の光。彼女の命を助けることで,彼もまた,救われる。出会えたマリー=ロールは,彼にとっては光そのものだったろう。

 

 

 

 <すべての見えない光>とは何だろう。読み始めから,読み終わった後も,ずっと考えていた。この物語の,光とは,見えない光とは,すべてとは一体何だろう。

 

 物語の中では<数学的にいえば,光はすべて目に見えないのだよ>という台詞がある。無線交信の電波。光は電波の一種だ。マリー=ロールが初めて手探りでパパを連れて家へ帰れた時,大声で笑って喜んだ話の題名は,光。マリー=ロールの読むジェール=ヴェルヌの『海底二万里』は海の中,光の届きにくい世界だ。ヴェルナーはサン・マロで光の届かない地下に閉じ込められてしまう。ヴェルナーはいう。<時間とは自分の両手ですくって運んでいく輝く水たまりだ>,<力を振りしぼって守るべきものだ。そのために闘うべきものだ>。死ぬ前に,ヴェルナーは思う。<風はどうして光を動かさないのだろう>。

 

 題名のヒントは多くちりばめられているように思えるが,読んでいる最中は手が届きそうで,届かない感じがしていた。しかし,この読書感想文を書いていて,この物語の<光>とは,というより,登場人物一人一人にとっての<光>とは何かと考えると,徐々に見えてくるように感じられた。それぞれが異なるものを求め,その求めるものがその人の世界を形作っている。しかしそれぞれの<光>は,戦争というものが,<すべて>奪い,見えなくしてしまう・・・。そう考えると,この題名はとても悲劇的な印象が残る。でも更に思う。<光>はあるのだ。今は見えないけれど,確かに存在し,人々を導いている。そう考えると,戦争の悲劇にも屈しない光の強さを感じ,題名に希望的な印象が残る。

 

一体,読書会ではどんな感想が,どんな解釈が出るのだろう(出たのだろう)。こんな時は読書会に参加して,他の人の意見を聞きたいと,切に願ってしまった。

 

 

 

 

◆◆◆ 【YA】

 

第二次世界大戦という理不尽な運命に翻弄され乍ら,敵対するフランスとドイツに住む二人の少女と少年を軸に展開する。まず最初のストーリーは,まるで散文詩のような簡単で短い文章で構成され新鮮だった。フランスのサン・マロに居を置く少女マリー=ロールは沢山の人々の存在があり,美しい海や身近なものに希望を託し,若者らしい感性で生活を送っているが,辛うじて聴きとれるラジオから流れる音声に大戦のきな臭い内容を知る。

 

一方,ドイツに住む少年ヴェルナーは孤児院で育ち,ナチスの技術兵となって,如何に相手を破壊すべきかと通信機を駆使して働いている。戦況が激しさを増し,ドイツ軍がフランスに入った時,二人は奇蹟的な一瞬の出会いをする。この時,何故,ヴェルナーはマリー=ロールが逃げるのを手助けしたのか。人間対人間の出会いだったに違いない。ヴェルナーのついさっきまでの行動からすれば考えられないことだと思う。それから月日が過ぎ,ヴェルナーの妹ユタがマリー=ロールを探し尋ね来て,彼女はヴェルナーの死を知る。

 

 それから又月日が流れ,最後の章でマリー=ロールが孫と日常を過ごしている場面では胸が熱くなった。彼女は生き延びていた。ヴェルナーの善意があったからなのか。いつの時代も窮地に於いても,そこには必ず善意が存在し,また一縷でも希望があれば人は変わり,何かが生まれるのではと思う。悲惨な状況が続くなか,マリー=ロールが生き抜いていたことに光が当たる。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【TK】                            

 

洋書と呼ばれるように,フランス等ヨーロッパの風景が次々と思い描かれていく。

 

少女と父親の過ごす時間は,愛情いっぱい。目が見えなくても自立して生活していけるように躾けられている。博物館での探求心注がれる仕事ぶり。子供たちが見るもの聞くもの触るものから,教育が自然となされていくのがよく分かる。

 

 ラジオをつくる少年は,職人のように技術を身につけ,大人から信頼されているが,戦争のために利用されてしまう。

 

 まるで戦争が宗教のようになって,忠誠心を要求されてしまっている。どうにもならない世の中で,互いを気遣いながら生きている。残酷さの中に若い人の感性と家族や近所の人々の知恵を働かした日々の生活を垣間見ることができた。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【MM】

 

初めから7割くらいは時代が行きつ戻りつして,本当に読みにくかった。資料をまとめる係でなかったら途中で読むのをあきらめたかもしれない。いつ面白くなるだろう・・・と思いながら読んだが,読書会当日,ほかの人も同じような思いで読んだと聞いて「やっぱり!」と盛り上がったのも読書会ならではだ。

 

読書会ではあの読みにくさはどうしてなのだろう,と掘り下げる。そんなこと考えたこともなかった。普段の読書なら一度読んで「ほとんどが読みにくかったけど,最後のほうがいきなり面白くなってよかった」となるところを,どうしてこんな書き方をするのだろう,作者の意図するところは何なのか,とみんなで意見を出して考える。「内容に厚みを持たせる」,「時代から距離をとる」,「時間は非可逆的だがそれができるのが文学」,「人間の生き方も行ったり来たり」。一度読んだだけでは思いもしなかったことを気づかせてもらえる。

 

「すべての見えない光」,原文は「All the Light We Cannot See」だが,この日本語訳はみんなの中では評価が低かったが,私はこの訳がベストのような気がする。長いと間延びするし,キャッチーな訳で本を手に取ってほしいからだ。このタイトルよりいい題があるとしたらなんだろう,みんなならどんな邦題をつけるか興味がある。