2019年11月

 

課題本『強父論 KYO-FU RON

阿川佐和子/著 文藝春秋

 

 

   ご講師吉川五百枝先生が「手術入院のため欠席します」とおっしゃり、吉川先生がいらっしゃ

 らない初めての読書会でした。(庶務係)

 

 

  課題本『強父論』 三行感想 

 

◆【YA】 

 沢山の著書を表し、文化勲章を受け、作家としての阿川弘之。『きかんしゃ やえもん』や『春の城』の弱

 いものへのやさしい眼差しや若者の苦悩。一方実生活の父阿川弘之の人間性。意識的に本来の姿を隠し

 て家族に晒していたかはわからないが。娘の目から見た父親の秘めた苦悩や想いを期待していた。父親と

 いうものは妻や子供に対してどうあるべきかなと。

 

 【TK】

 恐怖論ともいえる父親の実態。きらいと言いながら家族としての理解もある。作家はあらすじのことばかり

 考えていると思っていたが、正しい日本語にすごくこだわって時間をさいている。作家同士の相談、お付き

 合いもおもしろい。 

 

 ◆【KT】

 ワガママで身勝手な父で、母も佐和子も大変だったと思う。ユーモアを交えて書かれているので、楽しく

 読めた。娘への愛も父への愛も感じられた。皆さんのいろいろな感想もきけて楽しかった。

 

◆【T】

 父は短気、わがまま、自分本位…。共に暮らすのは大変だけれど、その根底にある 家族に対する深い

 愛情を感じた。佐和子さん自身、父によく似た気性だからこそぶつかることも多かったが、父はぶつかっても

 よい相手、ぶつかったらちゃんと受けとめ返してくれる相手と認めている存在だったのではないかと思う。 

 

◆【N2】

 戦争を生きぬいたガンコ親父の代表のような父親は、娘が可愛くてたまらないし、娘はガンコ親父の取り扱いに苦心しながらも、「お父さん 大好き。」二人とも似た者同士で面白いお話でした。

 

◆【MM】

  本の中では ユーモラスに語られていたが、実際あのような父がいると家族は気が休まらないなぁ…と心か

    ら思った。しかし、ああいう破天荒な父がいたから、あふれるネタを元に書くことがあって、読者としては良

  かったと思う。実際に体験はしたくないです(笑)。

 

 

 

 課題本『強父論』 感想 

 

◆◆◆【C】

 表紙の若き日の阿川・父の写真はとても優しそうなお顔をしている。ひっくり返して裏の老いた写真は好々爺で、阿川・娘も幸せそうな笑顔である。章ごとの写真もいいお顔をしているものばかり。唯一、中表紙の写真だけが、怖そうな写真。家族だけが知っている、無茶苦茶な父、阿川弘之氏の素顔なのかもしれない。

 テンポのいい文章に、つい笑いながらどんどん読み進んだが、本当に無茶苦茶な父親ぶりで、当事者達は本当は笑えない話なのだなと思った。読後は何だかしんみりした。幼稚園児の頃、怒鳴られ、食事中に泣くなと言われ、<怖くて悲しくて吐きそうになった。あの恐怖の夕餉事件のことはいまだに忘れられない>と還暦過ぎた娘が書く。何だか切なくなってくる。あとがきで本人も<私は自分が死ぬまで、この強烈な父の呪縛から抜けられず、オドオドし続けるのだろう>と書いている。父を恨み、母を恨み、自分の生まれを恨み・・・とはならなかったのか。もちろん、なっただろう。では一体どこで吹っ切ったのだろうという疑問がじわじわと湧いてくる。幼い頃からそんな家庭環境だったから、そう考える猶予も与えられず、ウチはそういうものだと渋々受け入れてきてしまったのだろうか。どんな親であっても、子どもにとって親は絶対的な存在、親とはこんなにも子どもを支配してしまう存在なのだなあとあらためて、怖い感じもした。家族という縁は、本当に不思議な縁のような気がする。

  内容は当事者にとっては笑えない話であっても、娘・佐和子さんのあっけらかんとした文章が、読者を救う。父親側の言い分もあるだろうが、無茶苦茶な父を渋々でも受け入れ、許しているからこそ書けた文章であるのだろうなと思う。<阿川弘之の娘として生まれた面倒な宿命なのだという気がする。そしてそのことは、図に乗りやすい私にとっては、案外、ありがたいことなのかもしれない>。そんな風に思ってくれる娘がいてよかったね、と阿川・父に言いたい。男尊女卑が激しかった家に育ったせいなのか、(もちろん独身時代が長い娘で、他の兄弟より動きやすかったせいもあるだろうが)やはり、介護は当然のように娘なのかとも思った。今は認知症になった母を家族で介護している日々らしい。

  

 

◆◆◆【TK】

  恐怖を感じた強父論。

父親の事を暴露した娘のほんです。
頑固で怒り飛ばす、しかもいつ豹変するかもしれないというのである。
幸いユーモラスに受け止めている。
どうも人間は人を支配する傾向にあるらしい。そして女は愚かで何も価値のないものとして扱っている。
佐和子さんのおうちの美味しいレシピもかいまみられてつくって見ようと思いました。
作家同士のお付き合いも面白い。志賀直哉の奥様と家風に憧れた佐和子が面白く、志賀家ごっこをしている。
そして佐和子さん自身とお父さんのいじめもまた人間臭く感じられる。
これは自分の家のことだから良いけど、他人を暴露するなら裁判になりかねない。
お父さんの最期の言葉が

黙って~してくれと言うものでしたが、本当にそう思う。
確かに身内の悪いことは最もだけど、黙って覆ってあげるのが愛だと思うのです。
愛は罪を覆う
家族の頭を敬う

と出来たら良かったが
佐和子はユーモラスに描いている。
作家にとってあらすじを考えるのは勿論だけど、正しい日本語、上品な文章をこんなに考えているとはと感心しました。
今佐和子さんの他の本もマンガのように爆笑しながら読んでいます。

 

 

◆◆◆【MM】

作家である阿川弘之を父にもった娘、阿川佐和子のエッセイである。家族の前では大きな子供、

本位にもほどがあるエピソードが満載だった。読んでいて笑えるように持っていきたいのかと

いう書き方ではあるが、こう度重なると笑えない……。家族は大変だったろうなあと思う。よかったことと言えば珍しいエピ ソードをもとにして本を出せたことかもしれない。その中でもこういうのはいいな、と思えるところがあった。阿川佐和子の文章を父が添削してくれる箇所だ。編集者に渡す前に父が添削、過干渉とは思ったが、仕事のことに関しては対等というか傍若無人なところは抑えていたように感じる。佐和子が、原稿が思うように書けなくなって悩んでいたときに父がかけた言葉もよかった。「あまり気にしないほうがいい。書いていれば必ず書けなくなるときがくる。その苦しみを乗り越えることのほうが大事なんだ。あまり気にしないで、書けないときはしばらく書かないでいればいい。また書けるようになる。」これは物書きにしかわからない感覚だろう。こういうことがたまにあるからああいう父親でも尊敬できるのか。いや、重ねて言うが、実際に弘之みたいな身内がいたらたまったものではない……。

 当日の読書会では「高圧的な態度、男尊女卑もいいところである。しかしそれはなぜなのか」と

いう話題になった。自分に自信がないから圧力で人を支配する、というのが私の考えだ。ほかの参

加者から出た「もう一人の社会的立場の自分とバランスをとるため」という意見が興味深かった。

「自立できていない」という意見もでた。確かに自立できていない。妻にはもちろんのこと、娘にも妻に求めるようなことを要求し、ほんとに困った人だ。しかもそれが老人になるまで続くのだか

ら。参加者の話をいろいろ聞いていると昔人間だから男尊女卑、というわけでもなくて、それは個

人的資質なのだということだと感じた。

 それぞれの父親の話から結婚観の話へ広がりとても楽しかった。次に生まれるなら男性がいいか女性がいいか、という話にもなった。結婚観、家族観など身近な事柄になると話は尽きない。人数があつまるとさまざまな意見が出る。それを否定せず興味をもってお互いの意見を聞ける雰囲気をもつこの会が貴重であるしありがたい。           

 今回も楽しかったです!ありがとうございました。

 

 

 

◆◆◆【SM】

 題名は『強父論 KYO-FU RON』である。「恐怖」と「強父」をかけて題名にしているところが編集社としてな

かなか強かだなと想い、表紙を開いた。私が著者阿川佐和子さんをテレビで認識したのは、「たけしのTVタックル」であった。故三宅久之氏や故浜田幸一氏等を相手に、本人に嫌みなく軽妙に受け答えをする、芸人さん顔負けの突っ込みに、女性会者の枠を外した人が出てきたと思った。

 課題本も軽妙なタッチで執筆され、すらすら読み進めたが、ときどき出てくる「男尊女卑」に辟易し一気には読めなかった。阿川弘之は作品として年老いた機関車に思いを馳せる『きかんしゃ やえもん』を著したが、私生活ではどうしてここまで「自立できていない人」だったのか。私が考える「自立できた人」とは、自分を俯瞰的に観たり、もう一人の自分を創ったりして、葛藤を繰り返して何歳になっても自分の価値観を問い直せる人を指す。

 阿川弘之は日本社会の中では高名な作家である。しかし家庭の中では女性(妻や娘)をあたかも尊厳も想いを持たない所有物とばかり、自分の都合のいいように意のままに動かそうとする。家族の女性も大変だったろうが、読者の私もこんな理不尽な行いを想像することに辟易し続けた。

  <P211で、『舷燈』にも書いているとおり、そもそも女はバカである。だから何が正しい態度かをきちんとたた

   き込んでおかないとすぐに勘違いをして図に乗る。>

では辟易もピークに達し、勢いよく本を閉じた。                                   

 時代背景や個人差もあるのだろうが、現代社会にもはびこり続けるこの「男尊女卑」の思想はどうにかならないのだろうか。