2018年8月 

 

                              

 

課題本『 虹の翼 』

 

                   吉村 昭著   文藝春秋 

                        

 読書会を終えて 

 

                                                講師 吉川五百枝

 

 

 

前回テキストの作者向田邦子さんは飛行機の墜落事故で亡くなられて,今回は飛行機を作ろうと考えた人物が中心になるというのも,偶然の並びではあるけれど縁があるなと思う。

 

しかも,虫が大嫌いで虫偏の文字さえ嫌いな向田さんが,唯一許した文字“虹”を題名に持つ作品が今回というのも並び方の妙である。

 

主人公は,二宮忠八。1866年生まれで1936年に没している実在の人物である。

 

手広く取引をしていた海産物問屋に生まれたが,兄二人の散財がもとで,円満だった家族が四散することになってしまう。小学校卒業と同時に商家に雇われ,子守をしながら,自分の将来は独力でやっていくしかないと決心する状況になった。

 

14歳の時〈一本の糸で結ばれているに過ぎぬのに紙と竹で作った凧が人間の果たせぬことをいとも容易に可能にしている〉という凧へのあこがれが芽生え,空を飛ぶ夢を自分の身で実現させようとした。

 

なぜ 凧は揚がるのだろう。

 

自分が,何を知りたいのかを確認して観察し,その観察から,自分の知りたかったものに加わる新しいものを発見する。これが忠八のやり方だ。空に揚がった凧から鳥の飛翔に着目し,鳥の滞空を支える羽の動きに目を留めた。鳥の羽の上下動から滑空を観察する。羽が無ければ飛べないのは基本だが,上下に激しく羽を動かさなくても飛べることに気がついた。こういう推量し観察し記録し整理しまた推量するという繰り返しの過程が,螺旋階段を着実に上っていく。読んでいる者も,次の進展への期待感が増幅してきて途中で止められない。読み手は,「さぁ,甲虫や玉虫の二葉に気付いたぞ」と,その後の複葉機の歴史を知る身は遡行して読み進める。

 

 今から考えれば,飛行機で空を飛ぶことには何の不思議も無い。しかし,当時プロペラをゴム紐で回して飛ばす奇怪な風体の制作物に熱中している忠八を見て他人は変人という。だが,妻の寿世は,夫を「おもしろい変人」と称する女性であったことに安堵した。安堵はしたが,さぞ,内実は苦労したことだろうと想像する。例会で,この寿世の在り方について話が盛り上がった。頷く人と受け入れられないという人とに分かれるのだ。夫とは自利利他円満を自認する人もあって,背景の時代のせいばかりではなさそうだと思う。

 

 飛行機の始まりは1903年のライト兄弟だというのが通説だ。それ以前のものは「飛行機」と呼ばない。忠八が1882年に空飛ぶ器機を作りたいと発心したのは,いわば,「飛行機」の先史時代だが,実は人間は有史以前から空を飛びたいと夢見ていたらしい。私が子供の頃は,背中に風呂敷をマントのように結んで,近所の友達と“空を飛んで”遊んだものだ。

 

飛行機の歴史はライト兄弟に始まると項目として知っていた私を驚かせたのは,1999年に福音館書店から発行された『飛行機の歴史』(山本忠敬)という本だった。児童書とされていたが,大人の私はワクワクして読んだ。子供の本は,読み手の年齢を問わないことが多いが,この本も小学生から大人までを空高く運んでくれる。

 

そして今回,もう一度この本を開いて,“先史時代”の中に,表具師浮田幸吉と今回のテキストの主人公二宮忠八の名前をみつけ,その制作物の絵を見ることができた。

 

20年前は読み流していたに違いない。文庫版の『虹の翼』の表紙絵は,忠八の設計した玉虫型飛行器であることに改めて気付いた。

 

飛行器の設計図が実物にならぬもどかしい間を描いた日清・日露戦争の細かな説明で,詳しく知ることの無かった戦闘の模様を知らされた。日本は軍備強化の道を歩む。その成り行きも気になったが,軍隊にいる忠八の飛行器がなかなか進展しないのも気になる。

 

飛行動力を得る為の経済的必要から軍部の理解を期待したが,当時の軍部には新しい構想を検討する素地がなかった。上意下達の権力機構が軍隊の特徴で,上官の理解がことの成就の鍵を握る。それを当たり前とする社会の閉鎖性が伝統となっていないかと,忠八が現代に生きていれば尋ねるだろう。

 

軍隊勤務の間も飛行器はどうなったか,忠八のみならず,読んでいる方もハラハラする。

 

軍隊を辞めて薬業の商人に転身し,大阪商人や東京商人の間で誠実に働いて大成功を収める間も,飛行器がどうなるのかと気がもめる。

 

彼は,飛行器の有用性もさることながら,誰よりも早く空を飛ぶことを望んでいた。発見や発明は,着想を実現するというよろこびだけではなく,他の人より早く実現させるという競い合いの側面があることに気の重さを感じた。かつて「2番ではだめですか」という国会での論戦があったのを思い出すが,「世界で一番」というのが意味を持つ。発見も発明も,つらい世界なのだと思う。ライト兄弟が飛行器で自在に飛翔した事実を知ったとき

 

〈世界にさきがけて空中を飛ぶという夢が完全に打ち砕かれた〉のだ。

 

忠八の会社がある大阪で,アメリカ飛行団が公開飛行をした時も,

 

〈長い間夢にえがきつづけてきた器機が,空高く飛んでいる。かれの顔には,淋しげな表情が浮かんでいた。〉この一文を入れた作者にも,一番であることを競うはずだった忠八の失意が見過ごせなかったのだろう。

 

飛行機の開発の歴史は,誰が最初の飛行士になるかという競い合いであると同時に,犠牲者の歴史でもある。向田さんが事故に遭われたように,安定して飛んでいても犠牲者が生まれる。初期の飛行機事故は,研究を進める中での墜落事故が多いのが痛ましい。

 

忠八が,鳥のように自由に空を飛びたいという夢を持ったとき,その夢の中に,爆弾を抱いて人を殺す道具になるという想像があっただろうか。飛行機の技術の発達は,第2次世界大戦によって画期的な進歩を遂げたと言われる。ヨーロッパ初の飛行機制作者と言われるデュモンは,引退後,戦争に飛行機を使わないよう署名活動を始めた。しかしその願いを無視された彼は絶望し縊死している。忠八の建立した「飛行神社」には,デュモンたちの苦悩や願いも,合祀されていることだろう。

 

「虹」は,太陽光の全てであり,それゆえに至高のものとされる。だが,その光は,やはり陰を作ることが忘れられない。

 

 

 

 

 

 『 虹の翼 』 三行感想 

 

 

 

◆空への憧れを抱き乍ら,少年の頃手作りの凧を売っていたことに驚く。陸軍に従軍中,国の愚かな政策で無駄な命が消えゆく様を見乍ら(特に日本は険悪で不穏な時代)薬学を学び簿記をも習得し,その知識を活かして薬学業界で商才を発揮,退いてなお,空への憧れを貫く強い意志は生涯失われていないことに驚く。 【YA】

 

 

 

◆ライト兄弟が有人動力飛行に成功する14年前,世界で初めて飛行原理を着想した二宮忠八,「日本飛行機の父」と称される。男の子は子供の頃より空に憧れをもち,飛んでみたいと思う気持ちが強いのでしょう。その気持ちを一生涯持ち続けた強い信念。それが実を結び世界中の人にも知られた。今はドローンが近くでも飛んでいる。宇宙も交通混雑時代となった。今は昔,考えられない時代となった。 【M子】

 

 

 

◆忠八は夢を実現するため,いろいろ考え勉強して発明していく。その中でも,家族(実 

 

家の)や妻を大切にし,仕事も家族を養うこともやり抜いている。軍事や商業,当時の人々の暮らしと歴史がよく分かる。 【TK】

 

 

 

◆ライト兄弟より早く空を飛ぶ仕組みを考え出した二宮忠八。「なぜ凧は揚がるのだろう」という子どもの頃の好奇心から想像をめぐらせ,人類初の偉業へと進んでいく。しかしその

 

当時の日本には,彼の夢と科学を受け入れてくれる人は存在しなかった。そのため,挫折せざるを得なかった。そしてライト兄弟の飛行機が世に出ることになる。

 

 

 

時代は日清,日露戦争から第一次大戦となり,飛行機は大量の人を殺す兵器となった。もし,二宮忠八が飛行機を作り出し,戦争の道具に使われることになったらどうだろう。現代にも警鐘を鳴らす物語だと思った。 【R子】

 

 

 

◆二宮忠八がライト兄弟より10数年も前に「飛行器」の設計製作をしていたことに驚いた。

 

忠八は頭も良いし,統率力もあり,努力を惜しまないすばらしい人格者。後に彼の飛行器が世間に評価されたことで良かった。 【KT】

 

 

 

◆自分にしかできない仕事に生涯かけたい!!と飛行器作りに没頭した二宮忠八。

 

しかし個人の力では難しく,国の援助も断られ,彼の飛行器作りは頓挫してしまった。

 

明治の時代,ライト兄弟より前に ここまで飛行機について研究し,理論的に完成した人がいたとは驚いた。 【T】

 

 

 

◆吉村 昭著のノンフィクション小説ですが,フィクション・ノンフィクション・ノンフィクション小説の読み方等々面白い時間でした。忠八の飛行機作りへの情熱,生き方,読みごたえがありました。 【N2】

 

 

 

◆二宮忠八は世界で初めて飛行器を考案したばかりでなく,医薬品の開発を手掛けたり,実業家としても成功するなど 才能あふれる人であった。生家の没落も,兄達の失敗も,出会った人達も,すべてのことを生かし,力に換えていったと感じた。やはり人生無駄なものは何もないのかもしれない。 【Y】

 

 

 

◆長編です。読みごたえがあります。飛行器(機)作製に人生をかけた二宮忠八の生涯がきめ細かく描かれています。ノンフィクションなのでしょうか?フィクションなのか貴方の判断が問われます! 【K子】   

 

 

 

 

 

 『 虹の翼 』 感想 

 

 

◆◆◆ 【C】                               

 

  読書会の良いところのひとつは,決して自分では選ばない本に巡り会えることだ。飛行機にも,製薬にも興味のない私は,一人ではこの本に出会うことはなかっただろう。たとえ手に取ったとしても,文庫本で500ページに及ぶこの本を最後までちゃんと読んだかどうか疑わしい。細かな史実が盛り込まれているので,このボリュームになるのだろう。読了するのに時間がかかるだろうと思ったが,予想に反して一気読みに近いペースで読み進んでしまった。

 

主人公・二宮忠八の飛行器への情熱,執念が先へ先へと読み進ませるのだ。きっと誰か忠八の飛行器の理解者が現れて,協力してくれるだろうという期待感が。しかし現実はそう甘くはなかった。

 

 「欧米諸国の飛行船,飛行器研究者たちと比べて,忠八の立場は余りにも対照的だった。欧米諸国の研究者たちは新しい時代の開拓者として注目され,実験に成功すれば英雄として賞賛をうける。さらに政府をはじめ各種の機関は,これらの研究を推し進めるため物心両面で思いきった協力をしめす」

 

「忠八の場合は,全く逆だった。飛行器の研究をおこなうかれは,半ば狂人扱いされ,必然的に人目にふれまいとしてひそかに研究をしなければならなかった」。生活に追われ,研究を中断している間に,世界に追い越されてしまった。

 

それは,国のお金も精神的ゆとりもないあの時代だったからだろうか。その時代の空気,お国柄と言うべきなのだろうか。では今はどうかと考える。政府からの大学の基礎研究の予算は削られ,目に見える結果がすぐ出そうなものばかりに金が振り分けられているのが実情のようである。目先の利益,損得,そのようなものが今や日本社会の物差しであるように感じる。そうであるならば,忠八の時代よりももっとたちが悪いかもしれない。きっと日本という国は,「揃える」ことを好ましく思い,個々を「育てる」ことは苦手なのだろう。過ぎてしまった時間は取り戻せないけれど,晩年に忠八の飛行器研究の業績が認められ,上申書を突き返した長岡参謀が詫びたことは,忠八の努力が少しは報われたようで,安堵した。とてもさわやかな場面であった。

 

 忠八の生き方に注目しつつ,途中から私は妻の寿世も気になった。何かに人生を捧げ,生きていく人間の側にいる人は大変だなあと。戦争に送り出した後は忠八の生死を案じて過ごし,相談なく軍をいきなり辞職し,生活の不安を抱える日々。製薬会社での出世のたびに部署が変わり,あっちに引っ越したり,こっちに引っ越したり・・・しかも身重で。家庭のことは寿世に任せっぱなしだったに違いない。昔はそんなものだったのかもしれないが,今なら妻は我慢していないように思う。忠八を支えていたのは,黙って(時には文句を言っていたかもしれないが)忠八を理解し,その勝手な振る舞いを許していた寿世の力があってこそなのだと思う。

 

 そんな寿世に支えられながら,時代や生活にもがきながら,それでもなお,忠八の,今ないものを生み出そうというエネルギー,取り憑かれたような情熱が眩しい。生きている間に,しかも若き頃に,そのようなものと巡り会えることは苦しみも伴うが,やはり幸せなこと,羨ましいことだと思う。

 

 

 

 

 

◆◆◆ 【SM】

 

 作家吉村 昭を通して,世界で初めて動力飛行器の飛翔に成功した二宮忠八を知り,

 

その生涯に多くを考え,学ぶことができた。特に「無念をどう乗り越えるか」「自分の行為をどう補うか」「作家の死に様」である。

 

 まず,二宮忠八の「無念」。ライト兄弟が有人動力飛行に成功した新聞記事を見たときの,その心中は如何ばかりか。今まで自分の工夫した飛行器は世界に先駆けて空中を飛ぶに違いないと夢見て研究に励んできたのに。自分の生をうけた意義だとも思っていたのに。悔しさに慄き,叫び,奥歯を噛み締めたのではないか。<涙が,果てしなく流れた>とある。哀しく絶望感で奈落の底に落とされた感だったろう。そして我が身のおかれた家庭環境を嘆き,我が国の状況を嘆き,我が人生を嘆いたのではないだろうか。「無念」は想像に余りある。ただ救いは,妻寿世が彼の哀しみを理解し,無念さを共感したことである。

 

 その無念を忠八はどのように乗り越えたか<その日,忠八は会社に出ず放心した表情で大阪の町々をあてもなく歩き続けた。>幼少からの不遇を耐え忍んできた忠八だったが,無念を押し殺せなかったのである。<次の休日に,忠八は京都府八幡町にある旧精米所に行った。建物の中に入ると,枠組みが出来上がった飛行器にハンマーを振るい落とした>とある。作家吉村の冷静で淡々とした文章が忠八の哀切を際立たせている。運命によって夢が絶たれる忠八の悔しさは,読者にも「人生は何と理不尽なことよ」と想わせる。

 

 最終的には,<人間が生きてゆく上には,なにか得体の知れぬ大きな力が働くものしいそれは人間の抗し得ぬもので,それはそれで謙虚にうけとめねばならぬ,と思った>とある。この気持ちの整理にどれだけの時間を要しただろうか。一生誰かを恨んだり,我が運命を呪ったりする人もいるが。忠八が日記に書いていたものか,作家吉村が想ったものかは分からないが,まさにその通りである。見事な我執からの離脱である。到底,真似はできない。

 

 次に,忠八が自らの行為を補ったことである。飛行機発達のために多くの殉難者を出し,戦闘に飛行機が使われ多くの命が奪われたことに心痛め,忠八は神主資格を取り飛行神社を建立して殉難者の霊を祭った。偉人伝説は実績の羅列で終わることが多いが,彼は自らの研究の光影を熟慮し,影を補っている。やはり非凡で人格者たる所以であろう。

 

 最後に,読書会で話題になった作家吉村 昭の最期を考えたい。彼は2005年に舌癌と宣告され,膵臓がんも発見された。2006年には膵臓全摘の手術をうけた。膵臓癌は発見が難しく余命は短く宣告通りのことが多いらしい。吉村は自宅で療養中に,看病していた長女に「もう,死ぬ」と告げ,自ら点滴の管を抜き,次いで胸に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き,数時間後に逝去したという。79歳。あまりにショッキングな最期である。これまでの人生に納得し死を迎え最期を覚悟し,総てを決断した結果なのであろう。尊厳死を望む私には,感慨深いものがある。このとき妻の作家津村節子は取材旅行中だったという。夫の闘病を妻が妻と作家の目で観察し小説にした『紅梅』を読み終え,夫婦の心の機微や他者から窺い知れない夫婦の有様に感涙した。