2021年2月                                                                    

  課題本『銀河鉄道の父』 門井慶喜/作 講談社 2017

         

           ナリタイ・ナレナイ

 

                    講師 吉川五百枝

 

かなり以前、あちこちの小学校で「雨ニモマケズ風ニモマケズ……サウイフモノニワタシハナリタイ」という宮澤賢治の詩が、元気いっぱいの子供達によって声高らかに群読されていました。

つい最近、宮澤賢治を紹介するテレビ番組があって、最後の場面は「雨ニモマケズ……」の詩の朗読でした。「サウイフモノニワタシハナリタイ」という最終フレーズは、声を落とし、ゆっくりと呟くように終わりました。

賢治本人は健康で居れば、日蓮聖人の信奉者として、お題目を声を張り上げて称えるように「サウイフモノニワタシハナリタイ」と大声で言ったのではないかと思うのです。そして、賢治の父政次郎は、浄土真宗の信者として「サウイフモノニワタシハナレナイ」と声を落とし、うめくのではないかと思います。

父と子、宮澤政次郞と賢治の違いを、象徴的に捉えればこのように感じています。

一般的な宗派名を使っていますが、本当の精神世界はわかりません。

この父と子には、子が亡くなるまでの37年余りという共通する時間がありました。

そのうちの半分は、長男として生まれてきた賢治に、家業を継がせようとする政次郎の欲望が燃えさかる期間であり、後半は、自分の意思を貫く賢治に父が伴走する期間であったと思います。

賢治の生涯は、没後間もなく作品が世間に発表されるようになり、その意思や願望は色々な処で語られるようになりましたが、父は、子に当たる光の陰になっていたのではないでしょうか。

今回、歴史物の作品が多いこの作者は、宮澤賢治の文学上の思想を探求しようとしたのではなく、現代の「家族とは何か、親子とは何か」という問題を考える一つの糸口にしたようです。しかし、賢治をとりあげれば、彼の思想を抜きにして家族は語れないはずだと、私は思います。

「父子相克」は、心理学上の主題としてよく語られます。この宮澤家においてもその例に漏れないと言えばそうなのですが、今回は、「この子はどうやって食うために稼ぐのか」と、子の行く末を案じ続けた父親像が描かれています。賢治は、ことあるごとに「心配いらねえよ。お金はお父さんが用意してくれる」と言うのですが、金銭感覚の乏しい息子がいたら、父親は頭を抱えるのではないでしょうか。

資産があったから、切実な困窮には至らなかったにしても、この政次郎の度量の大きさには驚かされます。作者は、政次郞について「父でありすぎる」と括りました。

商才のある政次郞は、地域でも知られた資産家になりますが、子供に対しては、愛情を注がずにはおれない質だったようです。自分で〈父親になることが、こんなに弱い人間になることとは夢にも思わなかった〉と言いはするのですが、そっと賢治の背嚢の中に薄荷糖を隠し入れてしまう父でした。22才にもなる息子に。

その後すぐ、息子からは〈ご補助をあおぐ〉とか〈たびたび恐れ入りますが〉とか、お金の無心です。悪びれることの無い賢治は、現代の経済感覚では評価できません。

それでも政次郞は、賢治の詩や童話にかけた覚悟を励まし続けました。賢治が死の病となる病床に伏しても〈父親の業というものは、この期におよんでも、どんな悪人になろうとも、なお息子を成長させたいのだ。〉

励ましも、薬も効かなくなって38才で賢治は亡くなりました。

現代社会が、合理主義とか経済効果、人間至上主義に縛られていると感じて立ち止まった人々は、自然への憧れや農業への希望を持って「イーハトーブ」という名前で子の賢治を蘇らせましたが、その父の葛藤を読み取ることは殆どありません。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」賢治は、そう言います。基本的には、父も子も仏教徒です。仏国土を目指す生き方という共通地盤があるので、二人は本当の幸福について議論できたのでしょう。

賢治は〈「南無阿弥陀仏とくりかえせば極楽往生だなんて、そんだら現世の努力の必要がねぇ。ただ人間を堕落させるだけでねすか」〉〈「おらの大志は、日蓮聖人のお教えを世に広めること」〉と言いつつ〈「お父さんの生き方は、じつは法華経の生きかたなのす」〉とも言います。政次郞は、〈「それは、他力本願ということばの解釈がまちがっている。」〉と問答しながら〈二人が正反対ではなく、似た者どうしだからか〉と思ったりしていました。

賢治の思想は、法華経を中心にしています。お経はたくさんありますが、一つのお経でも、人によって解釈が違います。宗派が同じだからといって同じ解釈をしているとは限りません。伝記や解説書によっては、賢治と父との葛藤は、日蓮宗と浄土真宗の対立だと書かれることもあるのですが、日蓮宗は、相手意識(折伏しゃくふく)が強く表出されるので、争う形に見えるのでしょう。

賢治は、個人の救済より社会の浄化を叫びます。

政次郞は、それに反対ではなく、現世の努力を放棄するのでもありません。個人が他のために努力するのは自明のことです。ただ、その望みを妨害するのが「私ファースト」に考える自分中心の欲望です。そういう「私」の本性を知るのが浄土真宗の流れです。

賢治の〈おれはひとりの修羅なのだ〉。この1行には、ずっと魅せられています。

願っても周りを幸福に出来ない修羅の自分を見るから、せめて出来ることをさせて貰おうと努力するのだと思います。

「家族」といえども、11人、始終を知らない大きな網の結び目の一つです。「網目にはそれぞれ宝珠が付いていて、そのひとつひとつが他の一切の宝珠を映し、宇宙のすべてがそこに収まる」という仏説を思い出します。「家族」という修羅の集まりも、宝珠の仮の姿を見ているのかもしれません。

                         

        

課題本『銀河鉄道の父』 三行感想           

 

◆ 【 YA 】

バッチリ明治の父政次郎と長男賢治との何と濃い親子関係だろう。

賢治の持つ多彩な人間性と、政次郎との確執、対立、最たるものは、当時の宗教の考えが及ばぬ賢治の他 

宗教への信仰。

鉱石や農業を研究し、文学は理想主義を目ざし、童話や詩作活動をする息子賢治の姿は、親から唯受けつ 

いだ古着質屋を賄う政次郎にとっては未知の世界、羨望の世界が少なからず浮かんだのではないかと。

 

◆ 【 R子 】

 以前、門井先生の『家康、江戸を建てる』を読んだ時、家康という一人の男性を通して、出会う人の長所をす

 ぐさま思い出し、それを仕事や生活の中で“とことん信じる”ということを1本の柱立てにして“江戸”という未開の 

 地を、様々な角度から開いていった。建てるとは、どういうことかを人間関係の中で描いていたと思った。

 今回の『銀河鉄道の父』も宮沢賢治の父として息子を信じきる深い愛情を父と子、家族の中に描かれていて、 

 「人を信じきる」という一見言ってみればたやすいことを最後まで行動に表わしていた父の姿は、私自身の

 育った過程、今の自分の置かれている立ち位置、また日本の社会全体の子ども、大人の生き方に示唆するも

 

 のがあり、“うんうん”と納得しながら読み進めることが出来た。

 

◆ 【 KT 】

宮澤賢治の創作活動を支えた偉大な父政次郎の物語。

賢治のわがままな自由奔放さに印象が少し変った。

愛情と経済的支えがあってこそ才能を発揮できたと思う。

みなさんの感想を聞くと深くて理解できないところも多いが、楽しかった。

 

◆ 【 K子 】

『銀河鉄道の父』ではなく、『銀河鉄道は私の息子』としてもよい様な本であると思いました。

父性愛とはこの様なものであるのか?

東北の家長制度と言う枠の中で、宮沢政次郎と言う人物の思慮深い子ども育て論。

賢治は父の作品かも知れません。父子の壮絶な魂のぶつかりあい。

理解しあっているからこそ後にひけぬ主張。ここまでするのかと思う程の愛情。

自分の心にいつも仏を持っていた人が最後の一行「改宗しようか」とおもいついたが……気になります。

この作品は門井慶喜さんの父親論かもしれません。

追伸 宮沢政次郎さんは改宗されたそうです。

 

◆ 【 SM 】

2017年11月、宮澤賢治の弟清六さんの孫にあたる宮澤和樹さんによる「宮澤賢治レクチャー」を聴く機会を得た。賢治と父親政次郎との親子関係は、信じる宗教の違いによる議論はあったが、巷で言われているほど険悪なものではなかったと力説された。

課題本『銀河鉄道の父』は、和樹さんの言葉を具現化したような作品だった。むろん一言一句すべてが事実ではなく、著者が想像したエピソードもあるだろう。しかし多くは花巻で取材を積み重ねた結果の「小説」であろうと推察する。

月当番さんによると、著者門井慶喜は「父子関係を描きたかった」と語ったという。

賢治と政次郎の親子関係を、読書会K子さんは「父子の壮絶な魂のぶつかりあい。理解しあっているからこそ後にひけぬ主張。ここまでするのかと思う程の愛情。」と表現された。納得。

宮澤賢治について再考。

賢治は幼い頃から、厳しい耕地で農業をせざるを得ない農民に想いを馳せ、高等農業学校等で学んだ鉱物学や地質学を活かした土壌改良、肥料開発、農業技術を農民に死ぬ間際まで指導し続ける。天文学や気象学にも造詣が深かったと妹トシは自著で兄賢治を語る。

賢治は、島地大等『漢和対照 妙法蓮華経』を一心に黙読し血肉とし、日蓮宗に改宗する。

妹トシやシゲにも夜寝る前に創作した話を聞かせたり、家族以上の看病をしたりする等溢れんばかりの慈愛を注ぐ。妹達も兄を心の底から尊敬する。

弟清六にはトランクいっぱい書き溜めた童話や詩を出版するよう遺言する。清六も著名人の協力を得て、作品を次々と世に知らしめる。清六は孫和樹の大学選びにも「ある程度、仏教や『法華経』のことを知っておかないと将来困るよ」と日蓮宗系の立正大学を勧めたという。

清六の著書『兄のトランク』で賢治への尊敬や信頼を確認する。賢治は「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という理想を求めたという。時空を超えた森羅万象全体幸福の究極を求めた生き方に身震いを覚える。小6の授業『よだかの星』が鮮明に蘇る。

賢治の作品は、過去・現在・未来の時間を超えて時の流れを感受し、地球・太陽系・銀河系を超えて宇宙を見上げ、新しい学問・文学・音楽・鉄道・園芸等に敏感で、それらを彼の中に受けとめ昇華し、童話や詩として放出するから魅力たっぷりなのである。根底には彼の生き方が光輝く。賢治は何かを為したいと願ったら一直線に行動せざるを得ない性分だから、生き方に不器用さを感じるが、言葉にも行動にも思想にも「まこと」を感じ、私の中では光り続ける作家である。

  

 

                                   課題本『銀河鉄道の父』 感想

 

◆ 【 YA 】

 広大な土地の美しい自然や雄大な岩手山、大きな北上川が流れる土地が育んだ遠野の伝説や民話。宮沢賢や石川啄木等の詩人を育てた素地がある。

  今回の作品は賢治と父親との親子の情愛や葛藤が興味深く描かれている。父親像とは、父親の立場とは。

 色々な家族の姿があり、一概には言えないが、父親の立場は子供にとっては微妙なものではないだろうか。

  しかし賢治の父親政次郎は違った。古着屋や質屋を営み裕福な生活を送る一家であったが政次郎はこの 

 商売には学問は不要と唱え、賢治とは対立。だが賢治の学問に対する熱意に触れ、進学を許す。この時の政

 次郎の気持ちは賢治の思いに翻弄され乍らも学問に対する気持ちが美しくもあり、自分も又勉強への憧れが

 あったのではと思う。政次郎は親から質屋に学問は要らんと育てられているのだから。

  このような中、賢治の豊かな知識の思いは、次から次へと行動を移し、突拍子も無い事業的なことにまでも手 

 を伸ばす。政次郎と対立し乍らも金銭的な支援の手を与えるのは矢張り政次郎自身叶わなかった思いを賢治 

 に託したかったのだろう。また2才下の妹トシへの慈愛が深かった賢治は彼女の才能の深さを知っていたし政

 次郎も同じだったろう。トシは24才の若さで亡くなるが、入院時、賢治の時もそうだったが何日間か政次郎は付 

 きっきりで看病した。驚きだった。父親が子の入院に付き、ましてや娘の入院に付きっきりは現在も稀有だと思

 う。政次郎の人間性、思いが窺える姿だと思う。トシを失ってからの政次郎の賢治に対する募る想いは計り知

 れない。子供を失った親の絶望的な辛さが痛い。

  賢治は豊かな感性で自然理想主義の童話、詩を書き続け、上京の折、国柱会の日蓮系の法華経に傾倒

 し、政次郎を驚かせ、又信仰と農民生活の向上を目指す羅須地人協会を立ちあげ色々活動していたが病が 

 ぶり返し床に付く。

  政次郎の懸命の看病の甲斐も空しく賢治は37才の若さで亡くなる。死にゆく間際、賢治に向って筆と紙を与

 え、最期の言葉を促す政次郎の姿は鬼気迫るものであったに違いない。

  賢治の短い人生の集大成への願いや希望を政次郎はそれらを自分自身で成し遂げたいと思ったのだろう。 

 賢治の沢山の作品は生前には僅か2冊のみが出版されたが、残る作品は弟や沢山の人の協力、そして政次

 郎の尽力で後世に残り多岐に渡る世代で読み継がれることになる。

  賢治の造語や人間の究極のやさしさを思いやり、カタカナ語の豊富なファンタジーを感じる童話や詩、内容

 を知らなくても題名は記憶のどこかにあると思う。賢治の生涯は政次郎の存在無しでは為し得ない。父親と息 

 子の切っても切れない深い絆を思う。

 

 

◆ 【 TK 】

  先月の『おら おらで ひとり いぐも』に続いて今回も岩手県関係の作品だった。
  宮沢賢治は貧しい農民だと信じていたが、真逆。しかも父親は教育熱心で子育てに熱い。そ
して賢治の作家

 としての期間はとても短い事も初めて知った。
  カタカナ言葉があるが、イーハトーブという意味が初めてわかった。賢治の感性もわかった。そして大人の童 

 話のようにも感じられる。
  弱いものの力になりたいという気持ちから童話を作り農業をする人の相談にも励むようになっ
た。

  別宅に一人で暮らすようになり読書会やコンサートみたいな事も企画した。
  しかし病気になりとうとう亡くなってしまった。
  私は、この本は特に親子に焦点を当て書かれているが、どうしてもこう感じてしまった。
  親は威厳や権威があるが、将来の事になると親の事をきかないなら、もう知りませんよ。経済
的な事も突き放 

 そうとする傾向がどうしてもある。賢治もそうだ。
  生活費食費を切り詰めがんばるぞ!となる。これはどこの家庭も同じであろうが、賢治が病
気で短命だったの

 は、一人で意地を張らざるをえなくなり、頑張り過ぎた結果そうなったとどうしても感じる。

  最後に賢治のお父さんは財産を地域社会や子供の教育の為に惜しみなく使っている。現代のひとはそういう 

 事ができるだろうか?

 

 

 

◆ 【 T 】

  宮沢賢治については、よく見かける坊主頭の写真や「雨ニモマケズ」の詩から、朴訥な人、貧しい生活のな 

 かで、周囲の人々の役に立つことをする優しい人農民たちの相談に応じて土壌改良なども手がけていた立

 派な人、自分の欲とは無関係の人というイメージであったがこの作品を読み、そのイメージが変わってきた。

 父親との葛藤の中で苦しみ、自分を見つめては落ち込んだり、自分自身に失望したり……人間らしい賢治が思い浮かび、その中から生み出された賢治の作品には又別の魅力が加わったように思われる。

 

 喜助が政次郎に言った言葉、「お前は、父でありすぎる。」が表しているように、政次郎は、父親として惜しみなく賢治に愛情をそそいだ。病気になったら率先して看病し、鉱物を集めた時は、集め方・分類の仕方を教えたり標本箱を用意したりした。自分でも、「自分ほど理解ある父親がどこにあるか。子供の意をくみ、正しい選択をし、そのために金も環境も惜しみなく与えてやれる父親。」と考えていた。

 この政次郎のあまりにも深い愛情に時には反発し、時には甘えた賢治だったが、この愛情があったからこそ賢治は数多くの童話や詩を残すことができたと思う。

 

 政次郎の真剣に子供に向き合う姿、周りの人がどう思うかとか考えず父親として向き合う姿に感心した。

 

 

◆ 【 N2 】

  宮沢賢治は写真の坊主頭と質素な服装の印象が強く、質素な暮らしの中で他の人々の幸せを願い生涯を

 閉じた人だと思っていたのだが、読んでみるとこんなにも親の脛かじりだったのかと驚かされた。

  1896827日に生まれ、193392137才で亡くなる。賢治は父政次郎23才、母イチ20才の時に花巻 

 の裕福な質屋と古着を扱う資産家の長男として生まれた。政次郎は当時にしては珍しく子煩悩であり父親の喜

 助からは「政次郎は父でありすぎる」と言われるほどであった。「家長たるもの、常に威厳を保ち、笑顔を見せ

 ず、嫌われ者たるを引き受けねばならぬ」と思いながらも子供にどう接すれば良いのか解らず、解らないのだが 

 可愛くて仕方がないのである。二度の入院でも家長自ら病院で看病し、あげく自身も病を得てしまうが、それで

 も賢治と過ごす時間はとても嬉しいのである。自分が守ってきた質屋という仕事を嫌われても、質屋で得たお

 金を無心されるたびに与え、自由な時間を与え、自分が望めなかった学校にも通わせ、賢治の欲するままにさ

 せている。しかし優しいだけで無く間違った選択をしたと思ったときには喧嘩になろうと頑固に立ち向かい、妹ト

 シの死に際の賢治の態度には憤慨しながらもなんとか理解しようと努めた。 

  本書には賢治だけでなく妹のトシを始めとした宮沢家の風景が書かれ、政次郎に光を当てることで賢治の行 

 動に揺り動かされながらも息子を何とか理解しよう、社会で独り立ち出来るようにしようと奮闘する姿に父親とし 

 ての義務と責任と愛情を感じた。

  賢治は妹トシと北上川で石を探して歩き回った楽しい日々の幼子のまま大人となってしまったのだろうか。そ

 してその故郷花巻の風に打たれた頃の体験と、自然科学の深い知識を背景に身体の中から湧き上がって来

 るものをスケッチして作品を書いたのだろうか。人のためになる何かをしたい、人間全体が幸せになるようにと

 願いながらも現実は八方塞がり。ほんとうに生きることに不器用な賢治だったが、政次郎の理解と寛容さがあれ

 ばこそ天才の芽は摘まれず、自分の世界に漂ったまま後世に残る作品を生み出せたのだと思う。

 

  病に伏し気弱になった賢治に「甘ったれるな、本当の詩人なら後悔の中に、宿痾の中に、新たな詩の種をみ 

 つけろ。寝ながらでも前が向ける」。と叱咤し、歌を歌ってやる。ちびた鉛筆を削ってやる。賢治も何かに付け

 お父さんお父さんと呼び、父への感謝と自身の来し方のふがいなさを詫びている。このオキシフルの章では父

 と息子の濃密な時間が流れ、不幸の中にも幸せな時を過ごした二人に胸が熱くなる。 

  本当に最後まで優しい父であった。

  賢治も賢治一流の遊び、いたずらで最後のかくれんぼをしてしまった。